不安で足踏みしているメンバーに、あなたなら何と声をかけますか。
ぼくは長いあいだ「大丈夫だよ」と言ってきました。でも、あるメンバーとのやりとりで、その言葉が届かない場面に出会いました。
今回は、一緒に働くメンバーのひとり、Aさんの話です。Aさんは数年前からデジタル業務に関心を持ち、チームの先頭を走ってくれるようになりました。
少し経緯を話すと、もともとAさんはデジタルが得意だったわけではありません。ぼくが繰り返し「会社がデジタル活用に力を入れていく」という方向性を語る中で関心を持ち始め、いざ業務に取り組むと、驚くようなスピードで走り出したという感じでした。
背景には「チーム内での自分のポジションを確立したい」という意欲と、自分ひとりでもスキルを高められるという「自己完結性の高さ」がありました。当時のAさんは、多くの関係者と調整が必要な業務を無意識に避けているところがあったのです。
そんなAさんがデジタル業務でスキルを磨き、チームに知見を広げ、会社に貢献してくれたことは、ぼくにとって大きな驚きであり、喜びでした。何より、Aさん自身の成長機会になったことが本当に良かったと思っています。
AIとの出会い
3年前のことでしょうか。Aさんが頻繁にAIの話をするようになりました。社内にAIが導入された際も、まったく抵抗なく使い始めたのが印象的でした。
Aさんは、仕事上の複雑なやりとりで解釈に迷うとき、AIを使って確認やメールの添削を行っていました。すると、業務の質が劇的に向上したのです。
「これは、AIを武器にAさんがバージョンアップするチャンスが来たぞ」と、ぼくはひそかに期待を寄せていました。
デザイン生成への挑戦
チームのBさんは、もともとデザインの経験があり、AI画像生成が導入されたときも面白がって取り組んでいました。その様子を見ていたAさんが「どうやるんですか?教えてください!」と飛び込み、AIをデザイン制作にも活用し始めました。
ノンデザイナーであるAさんには、デザインへの引け目もあったんですね。だから「AIを使えば、自分もデザインを形にできるかもしれない」という期待感が、挑戦を駆り立てていたようにも見えました。
組織の武器にしよう
そんな姿を見て、ぼくは声をかけました。
「Aさん、AIのデザイン生成はまだ発展途上だけど、今から使いこなすスキルを身につければ、Aさんや組織の大きな武器になるはずだ」
デザイン専門部隊ではないぼくらのチームが、AI活用によって社内でデザイン制作を完結できるようになれば、組織にとって大きなメリットになります。
Aさんはすぐにその意義を理解し、セミナー受講や情報収集、そして膨大な試行錯誤を繰り返して、精力的に取り組み始めました。
パイオニアの誕生、そして足踏み
ここ1年で、Aさんは名実ともにAIデザイン生成のパイオニアとなりました。しかし、個人の努力だけで終わらせてはいけません。組織として活用できる仕組みへと育てる必要があります。
本格的なプロジェクトにするべく、半年間リーダーとして奔走してもらい、いよいよ経営層へ提案するという段階になったときです。なんとAさんの態度が一変しました。
「自分が企画したプロジェクトで、会社や関係者に迷惑をかけたくない」「この企画が本当に正解かわからない」
……んん??? えっ、ちょっと待って?
意欲的だったはずのAさんが、足踏みしている。ぼくは一瞬戸惑いましたが、すぐにその真意を察しました。個人の責任で動くのと、会社を背負って責任を持つのでは重圧が違う。これまでリスクや「正解のない問い」を避けてきたAさんにとって、大きな壁だったのだと思います。
詳しく聞くと、「他にも有望な手法があり、どちらが正解か確信が持てない。失敗するのが怖い」とのことでした。
「大丈夫」では届かない
こういうとき、つい「大丈夫だよ」と声をかけたくなります。以前のぼくならそうしていたでしょう。
しかし、不安の中にいる人にとって「大丈夫」という言葉は、根拠のない空虚なものとして響いてしまいます。かえって「この人は本当に自分の悩みをわかっているのか?」と距離を生むことさえあります。
ぼくは「大丈夫」と言う代わりに、Aさんと一緒にこれまでの経緯を整理することにしました。
「これまで」を並べてみる
「Aさん、少し一緒に振り返ってみない?」
ぼくらは、Aさんが積み上げてきた軌跡をひとつずつ確認していきました。
- デジタル業務で成果を上げたこと
- AIを活用して業務の質を向上させたこと
- Bさんと共に挑戦し始めたこと
- 昼夜を問わずデザインを試行錯誤してきたこと
- 実際の案件で多くの事例を実装してきたこと
- 半年間、リーダーとしてプロジェクトを導いてきたこと
並べてみると、今のAさんが、たくさんの積み重ねの上に立っていることがわかります。静かに頷くAさんの表情から、不安の色が消え、再び挑戦の意志が宿り始めました。
不安が、冷静な判断に変わる瞬間
さらにぼくは、思っていたことを伝えました。
「もう一つの手法が気になる、と言ったよね。でも、その『比較』ができること自体が、知見やスキルを得てきた証拠だと思うんだよね」
「社内ではAさんがパイオニアなんだから、Aさん以外に方向を示せる人はいないんじゃないかな」
ぼくの問いかけに、Aさんは「たしかに、半年前はそもそもどんな手法があるかも知りませんでした」と答えました。
「そうだよ。正解なんて誰もわからない。でもAさんには、これまでの経験と知見という『判断の土台』がある。だからこそ、今冷静に比較検討できているんだ」
「大丈夫」という根拠のない安心ではなく、「これだけやってきたAさんだからこそ、正当に判断できる立場にいる」という事実にフォーカスしました。漠然とした不安は、具体的な積み重ねを認めることで、確かな判断力へと変わっていった気がします。
提案、そしてその先へ
Aさんは企画を練り直しました。「今回はこの手法で提案し、もう一つの手法は今後の展開オプションとして併記します」と。
その判断は非常に理にかなっていました。白黒つけるのではなく、これまでの知見をもとに優先順位をつけ、柔軟に構える。それは、現場で積み上げてきた人にしかできない判断です。
提案は無事に通り、Aさんには次のステップを見据えた落ち着いた自信が宿っていました。
「これまで」を力にして
メンバーが不安なとき、「大丈夫だよ」と言いたくなります。でも、それは上司の自己満足かもしれない。
そうではなく、その人が積み上げてきたことを一緒に丁寧に振り返る。すると、不安の正体が見え、自分の立ち位置がわかり、次の一歩を踏み出すための材料が揃います。
「あるもの」は、過去の自分が懸命に取り組んで残してくれた贈り物です。漠然とした不安は、「これまで」を解決志向で振り返ることで、冷静な判断へと変わっていくのだと学びました。
Aさん、学びをありがとう!
「これまで」を力にして、「つぎ」の挑戦にいこう!
